桐山-第十一話 売らない営業

「桐山、ちょっといいか」
朝イチで村上さんからの呼び出しメール。なんだろう?成績は…悪くない。むしろ好調だ。先月のノルマも達成したばかりだった。
僕は少し緊張した面持ちで会議室に向かった。数字が悪いわけではないから叱責されるとは思えないが、村上さんからの突然の呼び出しは何かあるときだけだった。

「どうぞ」
会議室のドアを開けた。
「お待たせしました、村上さん」
緊張はしていたが、笑顔をつくるようにしている。

「どうぞ、桐山」
村上さんはコーヒーを二つ準備していた。ちらっと腕元の時計が気になる。IWCポートフィノだ。アンティーク時計のセンスも村上さんは抜群だとついつい違う考えが頭をよぎる。
一つを僕の前に置き、もう一つを自分の前に。通常の叱責ならコーヒーなんて出ないはずだ。

「桐山、俺がいつも言ってることを覚えているか?」

「はい、『暮らしを売れ』ですよね」
即答した僕に、村上さんは首を横に振った。
「違う。俺たちは『売っている』んじゃない」
意味がわからず、僕は黙って村上さんの言葉を待った。
「俺たちができるのは、顧客の真の問題解決だ」
村上さんはコーヒーを一口飲んでから言った。

「二条さんを案内した件を思い出してみろ」
先月の案件だ。僕がVOYAGEの編集者、二条瑞希さんに物件を案内した話。村上さんに言われて、青島が見える物件を探した。最終的にその物件に決まり、成約したケースだ。
「二条さんは資料が多くて今の物件が手狭になり、1LDKに住みたいと言っていました」と答えた。
「そう。それでお前は何をした?」
「村上さんの指示で青島が見える物件を探しました。それだけでなく、雑誌の編集者ということで書斎がある物件と資料庫のある物件も案内しました」
「そうだ」村上さんは満足そうに頷いた。「それがなんだと思う?」
質問の意図がわからず、困惑する僕。村上さんが何を伝えたいのかが見えない。
「お前はもう本能ではわかっているんだ。だが、理屈でわかる時が来た」
村上さんは椅子に深く腰掛けて言った。
「普通の営業だと、どうする?資料が入った家具が置ける1LDKを探すだろう。しかし、桐山、お前はどうだ?」

僕がどうしたかを振り返る。確かに最初はそうだった。でも、二条さんのことを考えた。
「二条さんは雑誌の編集者で家に資料を持ち帰るほど熱心な方だと想像しました。そしたら、机がいるだろう?と想い、そこで仕事する風景を思い浮かべたら書斎や書庫が浮かびました」

「そうだ」村上さんの目が輝いた。「だが、最後に当てはまるピース—青島のことを思いつくのは、顧客を本当に知ろうとしたときだけだ」

僕は黙って聞いた。何か大切なことを伝えようとしている。
「顧客の真の悩みを聞き出し、それを解決する手段。つまり暮らしで解決する手段を提供する。これが真の営業だ」
村上さんの言葉に、何かが腑に落ちた気がした。

「だから、俺たちは『売る』ことなんてできない。何か特定の物件だけを売り込んで、それが売れることなんてあるだろうか?」

僕は思いあたらなかった。確かに、無理に売り込んで成約したケースなど、ほとんどない。

「桐山、お前は今日から売る営業をやめるんだ」
意外な言葉に驚いた。営業なのに売らないとは?村上さんは立ち上がり、コーヒーカップを持って会議室を出ていった。話はそれだけだった。
窓の外を見ながら、村上さんの言葉を反芻する。「今日から売る営業をやめるんだ」。まだ、自分の中に落とし込めない。営業なのに売るなということか…。

全く意味が分からない…というわけではないことは理解できそうな気がする。二条さんの案件で、僕は物件という「モノ」を売ったわけではなかった。青島が見える景色、そこで過ごす時間、書斎での創作活動、整理された資料…それらすべてを含めた「暮らし」を提案したのだ。

村上さんの話はこれで終わりだった。
「暮らしで解決する手段を提供する」
この言葉を反芻した。

デスクに戻りカレンダーを見ると、今日の予定は新規顧客との面談。結婚したばかりの若いカップルだという。今までなら「この予算ならこの物件」と考えていたが、今日からは違う。彼らは何を求めているのか、どんな暮らしを望んでいるのか…。

本当の営業がなんだか、少しわかった気がする。売り込むのではなく、解決策を提案する。物件を売るのではなく、暮らしの価値を伝える。

村上さんがくれたコーヒーの残りを飲み干し、資料に向かった。今日の顧客について、もっと知りたいと思った。彼らの物語を理解することから始めよう。そして、その物語に続きを提案する。
それが「売らない営業」の始まりなのかもしれない。



ボールペンの謎解き


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